黒のホンダライフの助手席で寝ていた僕は、父のその声で起こされる。

 

「道洋、そろそろ明るくなるぞ」

 

ひざ丈のウェーダーを履いた父と、車に立てかけられた中調子の述べ竿が2本。穂先から伸びた糸はブランクにクルクルと巻かれており、

針はグリップ部分に輪ゴムで止められている。

気が付けば、幼少期から釣りの好きだった父と解禁間もない渓へ行き、まだ深い雪が残る中、小さな針にイクラを付けて渓魚を釣っていた。

 

正確に僕が幾つから釣りを始めたのか記憶は曖昧だが、1981と記された数枚の写真の中には、赤いダウンベストを着て竿を握っている僕がいる。当時6歳だ。

父の部屋に入ってはトビウオのマークが入ったオリムピックのリールを触り、ちょうだいちょうだいとせがんでいた。

 

 

父は根っからのアウトドアマンで、春先ともなれば山菜を採りに山へ入り、渓を登り、まだ芽吹いたばかりのふきのとうや、美しいパーマークの浮かんだ

アマゴやヤマメを釣り、家で燻製なんぞ作って遊んでいた。

近所の桜が見事な枝葉に美しい花を咲かせている中、庭に植えられていた僕の家の桜は、その都度短く剪定され、いびつな形でお隣さんから笑われていたものだ。

剪定された枝は小刀で薄くそがれて、最後は白煙となって別の物へと生まれ変わる、そういった連鎖を目の当たりにしながら僕は育った。

 

 

思えば、7歳の時の誕生日プレゼントはクーラーボックスで、8歳の時は黄色いルアーロッドとリール。9歳の時はタックルボックス。

僕が欲しいと言ったのではなく、父が勝手に選んできてくれたものだったが、こうして毎年少しづづ僕専用の道具が増え、

いつしか父のリールや竿には触れる機会も無くなった。9歳ともなれば友達と遊ぶほうが楽しくなり、ひとつ山を越えれば太田川の上流へと出れる為、

自転車で友達とコイやフナを釣りに行く。。そうして、父と釣りに行く事はほとんど無くなってしまった。父としては買い与えた道具で、自分と釣りに行って欲しかったのでは?

と自分が親の立場である今はそう思えるが、子供という生き物は時に残酷である。

 

 

その年の夏休みは、山口県宇部市に住むおばあちゃんの家へ帰省することに。夏休みは母方の故郷である徳島(池田町)と1年置きで交互に帰省をしていたのだが、

この年は父も連休が取れた為に車で一緒に帰省する事になった。

僕のおばあちゃんはお茶の先生で、日本女性を鏡に写したかのような人だった。9歳だった僕を「道洋さん」と呼び、主人であるおじいちゃんに対しても、

父に対しても敬語で会話をする。父の豪快な性格からは想像もできない、その母親像。

 奥の部屋には茶室があり、そこの壁には掛け軸と般若の面が掛けられていた。9歳の僕は、とにかくそれが恐くて仕方がなかった。日中はまだしも、夜の茶室は

物静かで、水場からは時折水音が聞こえる。毎晩、足を伸ばして寝る事ができなかったのだが、それに気が付いていたのは父だった。

 

 

「寝れんのか?明日は釣りに行くぞ。寝ておけよ」

 

 

込み上げてきた喜びは恐怖をあっという間に追い払ってしまった。

 

 

 

翌朝、車のトランクから黄色いルアーロッドとリールが出てきた。8歳の誕生日に父が買ってくれたものである。忍ばせたのは父であった。

そして、その年に買ってもらったタックルボックス。開けると雛壇のようになる、よくあるタイプのボックスだったが、エサ釣りしかした事の無い

僕にとっては、少々使いづらいものだった。それでもヤマメ針やガン玉を入れて好きに使っていたのだが、それを見た父が一言。

 

「ここにはルアーを入れるんだ。今から買いに行って、それを投げに行こう」

 

釣り具店でいくつか父の選んだルアーを買い、国道沿いにある、床波書店という小さな本屋で雑誌を買った。

僕が初めて買ったルアーのムック本は、ブラックバスの釣り方やルアーの使い方の他に、中国地方のバス釣りポイントマップが巻末に記載されているものだった。

そのポイントマップから山口県のページを開き、それを頼りに向かったのは丸山ダムというところだった。

そう、僕の初めてのルアーフィッシングはバス釣りで、しかも県外遠征デビューという形になったわけだ。

 

結局、丸山ダムでバスを釣る事は出来ずに、何の感覚も掴めないままに広島へ帰ってきたのだが、いつかルアーで魚を釣ってみたいという想いは抑えられなくなった。

ブラックバスを釣りたいという想いではなく、とにかく魚を。ルアーで魚を釣りたい。そういう想い。

それからと言うもの、太田川上流での釣りも、エサからルアーに変わった。そこにブラックバスが居ない事は知っていたが、ルアーを投げてる自分が凄く恰好良く、

最先端の遊びをしているという思い込み。子供がやりがちな行為。

こづかいを貯めて買うのはルアー。まだ魚を釣った事もないのにルアーはどんどん増えていき、いつしか集める事が趣味のような状態になってきた頃に、

ふと目に止まったのがHEDDONのタイガーだった。

 

当時、一つ1200円だったタイガーは子供の僕にはキツかった。買ったは良いが、無くすのが恐くて投げる事が出来ず、いつまでも綺麗なままでタックルボックスの

中に眠っていたのだが、ある日の休日、突然その出番がやってきた。

 

 

いつものように自転車をこいで太田川上流へ行ったところ、たまたまクラスメイトと一緒になった。彼は家族でバーベキューに来ていたのだが、ルアーロッドを

持っていた僕に近寄り、こう言ったのだ。

「なにこれ?これで釣れるの?すごいね!かっこいいね!」と。

 

ここからはもう奇跡だった。ただ良い所を見せたいが為に、一番高いタイガーを結び、投げて巻く。

いっちょ前にロッドをチョンチョンとアクションさせては、「こうやって釣るんで!」と、釣った事もない口が言う。

 

そうしてしばらくやっていた時、突然とロッドが大きく曲がったのだ。

 

驚いたなんてもんじゃなかった。ブラックバスはここには居ない.....鯉が引っ掛かった?

何れにしても、ルアーで初めての魚だ。パニックだ。おまけに隣で友達は、すっげえすっげえ!と大きな声で叫んでいる。

 

今となっては分かるのだが、あの時は濁りが入っていたのだろう。エサでは何度か釣っていたのだが、タイガーに食いついたのはナマズだった。

僕が初めてルアーで釣った魚はナマズで、ルアーはHEDDONのタイガー。

 

 

あれから26年が経過し、今もなおルアーをやっている僕。幼い頃に釣り具店のショーケースで見た外国製のルアー達。。。

 

父の影響で始めた釣りは、いつしか自分の生活に欠かせないものとなり、嬉しい事も悲しい事も、釣りに纏わる事がほとんどというのが、今の僕の日常だ。

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